11/23 月

この日はノブさんと一緒にガンジス川朝日を見ようツアー参加のために朝5時に出発。宿のバダルという人が色々ガンジス河についてはなしてくれた。シャーマンは家族、友人に会えない。牛の死体が浮いていたり、その前で洗濯物をする人たち、沐浴する人たち、神聖な火葬場という説明をしながらその目の前で釣りをするおっさんがいたり。ガンジス河は清めたりそういう意味が強いらしいが、バダルに言わせれば洗濯物は洗濯機が一番綺麗になるし、ガンジス河はキタナイといっていた。当たり前だけど色々な人がいるよなそら。対岸までいき、朝日とガートの景色を堪能した僕たちはチャイを飲む。チャイは基本素焼きの器に入っていて飲んだらその器ごと捨てる、のが基本。もったいねーと思っていたけど、そうしないと器を作る人の仕事がなくなるから、というのが理由らしい。そういう事でいいのか、と気づく。街をブラブラ散策するが、すごい→見慣れる→飽きる。綺麗な制服を着て学校にいく子ども、その横で物乞いする子ども、スーツの男、リキシャー、牛。色々な人が交わる変な街。夜はナイトプジャと呼ばれる、ガンジス河で毎晩やっているお祈りを見学しにいく。おいおいおいこれ毎日やってんのかよっていう規模。祈るという習慣がない僕には全てが不思議にしか見えなかった。そのまま同じ宿の名前忘れた人と飯を食いにいく事に。50ルピーでカレー食べ放題、しかも美味いという店にいくが別に美味くはない。その男は顔の周りにカレーをたくさん付けて3杯たいらげ、とても満足そうだった。それからラッシーを飲みにいこうという事になり、男はずんずん夜の街を進んでいく。8年前に飲んだラッシーコーナーというお店が忘れられないらしく、「ラッシーコーナ」という単語だけを連呼しながらインド人に聞きまくる「世界は俺の庭だ」というこの男は世界各国色々旅をしているらしいが、英語は僕より下手だ。しかし自信に満ちあふれている。結局30分くらい探しまわってみつからなかったので、そのへんのラッシーを飲んで宿に帰った。シャワーから上がると、バダルが一人でお酒を飲んでいたので話かけてみると、なにやら悲しそうな顔。どうやら今のテロなどのニュースが彼の心を傷つけているらしい。「今の人たちは自分の事を考えすぎだ、もっと人のためを考えるべきだ」「インド人は神様にミルクをあげたりするけどそれは違う、目の前に倒れてる人いるからそっちにあげるべきだ」「チャイ1日いっぱい飲むの我慢すれば、だれか助けられる」「旅行者が嫌い(宿なんだけどここ)」などなどいろいろな話をしてくれた。色々突っ込みどころはあるが、誠実な想いは受け取った。立場によって見え方が違うし、見え方が変われば考えも変わるし、考えが変われば行動も変わる。バダルは結構いい地位の人のようで、カースト性がまだまだ根強く残るインドではどんな反応なんだろうか。