8/30 木

大好きな五味先輩と翔くんに手紙を書いていたらなんだか沖縄の事、これまでの事、これからの事をぼんやりと思い考えました。今東京にいる理由、デザインを始めたこと。自分の中では全部繋がっています。それが今回自分の中で区切りがついたというか、集中力がきれたというか、まとめたいというか。そんな感じです。沖縄でたくさんの人達に出会って作品をつくって生活をしてきて、どういう生活を送って行きたいか若いなりに一生懸命考えたスペースがイエスウルトラでした。楽しい事をお金にするという意識。色々あってダメになっちゃったけど。イエスウルトラでの借金のケジメとして東京に来たわけですが、実際はすぐに3ヶ月で返済は終わりました。すぐに沖縄に帰りたい気持ちがあった。けれど東京での仲間と東京で何か形にしたい。イエスウルトラの延長ではないけれど仲間「guerrero」を立ち上げTシャツ等を制作し、販売してきました。楽しかった。し、嬉しかった。形になったものが、人が買ってくれて喜んでくれて一緒に呑んで。何より皆と共感できる瞬間があったのが1番嬉しかった。ここで尖っていったものが、「人のために作る」「生産制」「効率」という意識でした。人のためを考え過ぎたら、おおざっぱに「デザイン」になりました。人がいいと思ってお金を払って買ってくれて、使ってくれて。それってどんな感じだろう。と思い当時働いていたアサヒアートスクエアを辞め、デザイン会社に勤める毎日になりました。実際制制作にも直ぐに入らせてもらって本当に喜んでもらえたし、自分も充実していた時間だった。よい経験だった。少し働きすぎたけれど。もともとデザインに興味があったわけではなく。人のために何かを作りたいという気持ちでデザインを始めたから、だんだんと頭の中にクエッションマークが出てきて、「仕事って人のために全部あるよな」って考えちゃった。人って意外とすごいんだなっていうのと、同時にデザインも道具の1つにしか過ぎないというか、自分表参道でデザインの仕事してます。かっこいいだろ。みたいな。本当にしょうもない。そのタイミングで昔友達に言われた言葉を思い出した。僕が「誰々がいい」とか「誰々みたいになりたい」とかそんな事ばっかり言っていた時期に「サトケンを良いと言ってくれる人もたくさんおるやろ」。すごいジーンとしました。だから自分の絵を作り続けるとかではないけれど、なんだか、ありのままってすごい大事なのかなと思います。自分が関わりたいと思った人と関わるとギクシャクしたり、それでも気付いたら自分の周りに人がいて、格好つけないでいいというか自然と一緒にいる人っているわけで、まわりをみたら自分がわかるというかなんというか。んーまとまりませんね。そんな感じです。眠くなったので寝ます